何か人間の装身具のごとく考へるのは、封建的
な古い考へ方であつて、これはまさに日本人と
しての血であり肉なのであつて、これなくして
は、日本人として営養不良になる種類のもので
るが、これとても糸を作る代りに鐵を作るので
あつて、材料こそ異れ、生産といふ點に於いて
は五十歩百歩である。その方向に於ける限り同
一であるといへるのであつて、これとて学徒の
ある。
この学徒の任務を、幾身具的なものと考へる
面聲動員とは、多くの點に見て根本的に異るも
のである。つまり、学徒とは、学問をするとご
のは、従来の学問ぞのものの中に伏在する欠陷
でもあるが、教育といふものに対する考へ方の
不足によることも否み得ない。營養不良のまゝ
の人的売漁を用ふることは、将来はもちろん、
現在そのまゝ任務にづかせるためにも極めて不
十分であらう。
これを他の転廃業者に見、微用工に比較して
見る。日本の中小商工業者は、平和の状態にあ
つたとしても、これは当然と整理、縮小さるべ
きものであつて、事態がこゝまで来て、一段と
これが不適切なものであることを痛感する。下
請業者といふものは、この中小的なものの中の
比較的健全充實したものであるが、それですら
飛行機を作つて見て、不統一といらぬ手數によ
つて増産を組んでゐることは否み得ない。無き
に優るとはいつても、無くしておいてこれを大
工場に統一雑理しておけば、どれ程今度の戰ひ
にも能率的であつたか知れぬのである。これを
轉聲築させることと、学徒の学業停止とを同一
観されては堪らぬのである。
さらに平和産業の転廃業に見んか。こゝにも
多くの犠牲の存在することは論を俟たぬのであ
ろにその使命があるのである。人的資源をより
優秀ならしめんがための修行者なのである。他
の業者がいかにこれを用ふべきかといふ問題の
中に包含されるとしたら、学徒の場合は、材料
であつて、これをいかに育てんかにかゞつてゐ。
る。育てるべきものを育ち切らぬ中に用ひるこ
とは、将来を考へるものとしては、余程価重の
考慮を要する。しかも、従来七か八まで育てれ
ば済んだ学徒は、今日は十にも十二にも育てな
くては、米英と釣遂し、打倒することは出来ぬ
のである。百歩譲つて行学一致の名に於いてこ
れを与へるとしても、今の方法では不十分すぎ
るのではあるまいか。
月
とはいへ、戦争は至上命令であり、絶対に勝
たなくてはならない。そのために比較的不用の
ものは、一時停滞させることも止むを得ない。
一人の兵を戦場に立たせるためには、五人十人
の銃後を必要とする以上、学徒が銃後にて御奉
公することは当然であり、第一線に立つことも
厚き任務である。問題はこれを何時、如何なる
方法によつて行ふべきかといふことが問題にな
り、いかにしたらば学徒の学徒らしさを失はぬ
まゝで御奉まで御奉公させ得るかといふ斯に深甚
當局が、学徒は学徒のまゝで労務に動員した
ことは、賢明の策であつたといへる。学徒とし
ての谷将云々といふことは、いさゝか差別的で
あつて香ばしくないが、学徒のまゝで動員する
ことは、学徒としての心構へと、したがつて学
徒としての本質への欣求を忘れぬためには極め
て良法であつたといへる。たゞそこには心構へ
だけがあつて、これに盛る内容が乏しいことを
感ぜざるを得ない。
學徒動員の場合忘るべからざることは、彼等
の彈の戰塲ともいふべき教壇ともいふべき教室との點縮するこ
とである。もちろんこれは空間的な意味もある
が、より。以上に心理的なものである。動員され
る距離を出來得る限り學校の附近に選むことは
午前で工場が濟めば午後は學校で何かやれると
いふ便利がある。若し學校でやれる勤秀ならば
この問題はもつと簡単になる。しかし、もつと
大切なことは、一週に一、二日間はどの学徒も
必ず学業を受け得るといふことである。若しそ
の工場が資村の關係上しば〳〵休む程度のもの
であるが、人間の頭數を並べて細く長くみんな
疲れずにやつて體面を保つて居るものであると
したら、一週一、二日は工員だけの手に委ねて
学徒は教室に戻ることも出來るであらう。若し
平均に仕事が纏讀されて居るとしたら、學校相
を