づきうしないていていかゞ
せまじとたうわくせしが
まづこのしよかんをもてりやう
さんへおもむきもしもかしこへ
いれじとならそのときよろ
しくさうだんすべしともの〳〵
道をいそぎツヽすでにりやう
さんばくのふもとへ
くればりやうさんばく
にて刎くわんぐんのおし
よす□□□やおもひけんすいめんたち
かねいたゞのおいふるひうごくと見へ
けるが四方よりさら〳〵とはやふねを
こぎいだすへそうのふねにはぐん
べう五十ばかりまつさきに立たかは
ひやうしとう林仲おんなりまた
一さうも五十ばかりのぐんぜいを
したがへてせきばつき刈唐
とうへさきにたちさま〴〵のはたを
たてつらねてまことに□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
けんごのていひと〳〵は
これを見てころの
うちにかんじつゝ花栄
はまづ馬まりおり
□□□□□□んぐんのうつてに
同
りやう
こと大おんに
□□のぬまのきしにある朱□□
ればふねのなか
こにこたへて〽さあらば
が家にてまちなへおしつけ
これよりまゐるべしといふに
花栄らかうべをめぐらし
すなはち朱貴島が家に
いればほどなくりやう
さんの軍師ぐん智彦昌
せた呉用だかふねをもりつけ
こゝにあがりおの〳〵にたい
めんす藤米をはじめ
九人のがうけついち〳〵に
れのをなしやがて宋
江がしよかんをいだし
する医呉用これをうけとりて
あらいのひゞき矢をあしのなかへ
けどみければかしここより
あまたのふねをこぎ
つくるさてひと〴〵をこれに
のせてすでにりやうさん
ばく人のぼせけりさても
ひと〴〵りやうさんはくの
金砂□□□□やといふころへ
あうしだい下のぼりゆき
ける所に鼎天王をはじめて
呂方
郭盛
天寿
おの〳〵いでむら
をはりやうてひろさ
なをゐたり木の
公孫勝にあけん
呉用
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
右のかための花米
くんしん茶助
一信州くしんじん
「王」「安」大方
□□□□□□□□
永盛寺へ不易
地震なりすべて二十一
人のかうけつせきを
つみねまんなかには
かうをたきておの〳〵
ぎをむすびやがてさけ
秦明
さかなをいだし牛を
ころし馬をきりて大に
しゆゑんをもよふしつゝ
ひたすら宋江明がとくを
しやうしものがたりやちまたに
およびてさま〴〵なる
とき呂方へ
郭盛の
花栄
両人花
米が
ゆみ
やの
なな
ことを
しやうし
われ〳〵
方天
てて
げきを
也
王英
もつてたゝ
かひに
およびほこ
じるしかとこ
つきてはなれ
がたくころを
いらちたるをり
黄信
はるかにその
いきりたるまことに
わざ也とほ
いふくだと
□□□□□□□□
日
同